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            京都ローラーカナリークラブの歴史

 昭和の初め日本に渡ったカナリヤも早、昭和5年に、福田元之助、富田徳三郎、川合米次郎、安達三代治、各諸氏等のご尽力により、京都ローラーカナリークラブが設立されました。
 昭和5年11月京都新聞社講堂に於いて鳴きローラー50点位、色カナリヤ100点位、赤栗色、オレンジ色、栗色、松葉緑色、緑レモン、白灰色、ビール色等各カナリヤの種類が出品された。
 昔は、京都ローラーカナリークラブのコンテストであっても、静岡、新潟、大阪方面からも沢山出品されたものです。
 国際ローラーカナリークラブ連盟の大会が北は北海道、南は鹿児島よりカナリヤを持ち寄り、京都で開催される様になったのは、単に日本列島の中心であるばかりで無く、ローラーカナリヤを愛する多くの人達や土壌があったからではないでしょうか。
 しかしながらこうしたコンテストも、その鳴き声の優劣を決める基準も、曖昧なものがありました。
 昭和11年ロスアンゼルスより児玉健一氏(ウエスタン、アソシェーション・インターナショナル、アソシェーション・公認審査員)が帰国されるに至り、いち早く京都の先人達は氏を迎え入れ、その審査方法を研究されるのでした。
 昭和27年頃、福田、富田、川合、安達、各氏に加え、日赤の福岡太郎、子息の福岡洋一、安江光夫、山田定兵衛、山本重三、岩井辰一、竝川利雄、大徳寺の小堀南陵、各氏が中心でした。
 今日、その多くの人達は故人となられましたが、何としてもローラーカナリヤの発祥は京都からと云う気概があった様です。
 又、その会場も大徳寺大光院の本堂、日赤の寮、国鉄寮ますや、と変遷はありましたが周囲の方達のご理解を頂き、ご提供を得て今日の大会があると云えましょう。
 私たちはこうした先人の意思を受け継ぎ、児玉先生の歌節審査方法を尊重して、より多くの市民の方達に、ローラーカナリヤの鳴き声を普及させ、同好者を増やし、青少年の情操教育にも貢献致したく、有意義なカナリヤクラブを目指しております。

                      京都ローラーカナリークラブ
                        元名誉会長 山崎 稔